「だんじり」もしくは「だんぢり」とは、日本の祭礼に奉納される山車(だし)を指す西日本特有の呼称。 「楽車」・「壇尻」・「台尻」・「段尻」・「山車」·「地車」とも表記される。
主に近畿地方・中国地方・四国地方などの祭礼で登場し、「曳きだんじり」と「担ぎだんじり」の2種類に大別される。
毎年10月中旬に行われる 愛媛県 西条市 の祭礼、西条祭りに登場するだんじり。 楽車とも表記する。 全国でも珍しい担ぎ屋台(舁き山車)で、四方を美しく精緻で立体的な透かし彫りで飾る。 二階構造の屋台と三階の屋台が存在するが、どちらを持つかは町内ごとの判断による。 高さ4.5m~5m前後(これは屋台ごとの個体差が大きい)、 重量は二階屋台なら約600kg前後、三階なら約700kg前後となるが 近年の流行として新調屋台の彫りが年々豪華になる傾向があり、重量級の屋台が多くなってきている。 通常15、6人~20人ほどの舁き夫で担ぎ、鳴り物は屋台の中にある。 楽車の名にふさわしく、リズミカルでテンポのいい鳴り物囃子で担ぎ、伊勢音頭やデカンショ節、 また全国浦々の伝統的な謡曲や最近の流行歌なども取り入れた非常に数多く多彩な祭り唄を歌う。
愛媛県 西条市 の祭礼「西条祭り」の塗りだんじり。 通常は年数が経った古い白木屋台を塗るが、現在では必ずしもそうでない傾向にある。 従来の顔料塗りに加えて、近年では奮発して高価な本漆などで塗る屋台も増え、 また有名な塗り師に塗りを依頼するなど 屋台の塗りは年々豪華で派手なものになりつつある。 塗りにすると基本的に屋台の重量がいくぶん重くなるので 塗りを極力嫌う町内もある。 塗りの色は黒塗りが一般的であるが、稀に朱塗りの屋台も存在する。 朱塗りとする屋台が少数であることについては意味があったとして諸説存在するようであるが 朱塗りについての特別な意味を証明する文献や伝承はほぼ現存しておらず、 そのため現在では 塗りを黒塗りまたは朱塗りにするかどうかはそれぞれの町内の判断で決定されている。
愛媛県 西条市 の祭礼、西条祭りに奉納される御輿屋台。 地元人には「みこし」と呼ばれているが 神輿(おみこし)としての名ではなく 氏子の奉納する祭り屋台(山または山車)の一種である。 江戸時代までの記録では石岡神社の祭礼に2台、 伊曽乃神社の祭礼に5台奉納されていたが、伊曽乃神社に奉納していた1台が 大正時代ごろ奉納運行途中の落下事故により大破し、現在では4台のままである。 高さおよそ5m前後、重量約2.5~3t前後 左右二輪の1.8mの木車で曳き、(木車に描かれる意匠には各町内ごとの特徴がある。) 30人程の曳き夫(この地方では「かきふ」とよぶ)によって曳かれ、鳴り物は屋台の中にある。 鳴り物方による西条御輿独特の激しい囃子(岸和田だんじりのようなテンポの速い調子)に合わせて 怒声にも似た咆哮のような掛け声で気合をかけつつ暴れながら走り、 この独特の動きを地元では「 練る 」と表現する。 スタイルや配色、基本構造等は近年の新居浜の太鼓台の流れをくむ姿をしているが、 この形態では全国で唯一 車輪で曳く「曳き山」のスタイルをとっており この屋台の最大の特徴となっている。 また 愛媛県今治市の大三島の大山祇神社の産須奈大祭(旧暦8月22日)では この御輿屋台の旧来の姿をとどめたほぼ同型の屋台が奉納されている。
西条祭りの中の伊曾乃例大祭の御神輿(ごしんよ)。地元では神さんと呼ばれ親しまれている。
伊曽乃の神様が、地区地区へ行って、氏子の皆さんの健康と繁栄を身近に御覧になり御神徳をお授けになる。
15日は午前6時に煙火(えんか)の合図による御神輿の出御「宮出し」から始まって、午後6時に常心原お旅所に御駐泊するまでの間に20か所の神楽所で次々とお神楽をあげていく。
16日は午前5時にお旅所でお神楽をあげたのち、15か所の神楽所で次々とお神楽をあげて、午後6時に本宮に帰御「宮入り」する。この二日間の巡行距離は、合計51㎞余りにもなる。
御神輿は、何回かの修理が行われ現在に至っているのですが、最初につくられたのは、西条藩初代藩主松平頼純(よりずみ)公の在任の寛文10年(1670年)から正徳元年(1711年)ころではないかといわれています。その御神輿も、現在は台車に乗せて巡行するので楽になったのですが、昭和42年(1967年)までは2日間の全行程を、担いで巡行していましたので大変な苦労があった。